すべての答えは自分の中にある

魂の成長、心の成長

「すべての答えは自分の中にある」

以前の記事でもそのことについて書きましたが
今日は、もっと掘り下げて書いてみようと思います。

外に答えを求めている以上、
いつまでたっても、
本当の自分の在り方は
見つからないと思います。

賢者と言われる人や、
偉大なる科学者や哲学者の書いたこと
言ったことに感銘を受けたり、
感動したりするのは
それが自分の中にすでにあったから。

でも、どんなに素晴らしい賢者であっても
それを盲目的に信じたり、
この人の言うことだから
間違いないと決めつけたりすることは、
本来の自分の進む道を見失ってしまうこともあると思います。

私はこうしてブログを書いている時に
いろんな方たちの言葉を引用したり
紹介したりしていますが、
それぞれの方たちの言われていることの
すべてを納得しているわけでも、
信じているわけでもありません。

例えば、私が随分昔から読んでいて好きな著者の中に
観月環さんがいらっしゃいますが
彼女のたくさんの書物を読んでいく中で
ここは自分とは感じ方や捉え方が違うと思う箇所もたくさんありました。

また、私は江原さんや美輪さんが好きですが
かといって、彼らの教えや言葉をすべて受け入れているわけではなく
そういう見方もあるし、そうとも言えるけど
今の私には違うなあと思うこともあります。

だから、私はどんな素晴らしい人だと感じる人であっても
今の自分にとって、必要だと思う考え方だけを取り入れています。
一つには、その人が伝えようという対象によっても、
その言葉は変わってくるということ、
そして、肉体を持った人間である以上、
いくら素晴らしい人であっても、
すべてを知ることは到底無理だということ。

そして、私がこういうブログで引用するのは、
自分の中で受け入れられた部分だけなので
受け入れらない部分に関しては、ほとんど触れませんから
(それは批判することへとつながってしまうので)
人によっては、私のブログを読んだだけで
私はその紹介した人のすべてを信じているのだと誤解をします。
私にとっては、はじめから、
すべてを取り入れているわけではないので
伝えることの難しさをあらためて感じさせられました。

そういう意味でも、チャネリングというのは
いくら優秀なチャネラーであっても
本来はチャネリングを受ける人は、
自分の内面をしっかり見つめることができる人だけが
受けるべきではないかと思っています。

このチャネラーにこう言われたから
とか、前世がどうだったと言われたから
ということで、自分の生き方を左右するのでは
どうかな、、、と。

言葉というのは、とても一方的であり
物事の側面しか見ることはできません。

例えば「人のために生きることが大切だ」
とある賢者が言ったとします。
この言葉を素晴らしいと感じて、
「私は人のためにこれをやっています」
そう言って何かをやっていたら
それは偽善者だと言われるでしょう。

一方、人のことばかり世話をして
自分を犠牲にしている人に対しては
賢者は
「自分が幸せになることが何より大事だ」
と言うかもしれません。

その言葉をそのまま
「私は自分の幸せのために生きます」
と言ったなら、
あなたは自己中心的で他への愛のない人だと
見なされるかもしれません。

『人のために生きる」ということも
『自分のために生きる」ということも、
両方真実であって、究極的には同じことを言っているのですが、
言葉そのものを見ると
逆のことを言っているように思えるのです。

結局、すべての言葉は矛盾をはらんでいるし
真実は、人それぞれ、その時々で変わってゆきます。
もうそれを全部を言葉ではとても言い表せないのです。

昨日私が書いた『働き過ぎている暇はない』
という記事ですが
これを読んで、ある方が
「自分はもっと時間を大切にしなければならない」
と感じたというのを知って、
これは素晴らしいなあと思いました。

私が言葉として書いたのは、全く正反対のこと。

一分一秒を無駄にしてはいけないと、
休みなく働いている方たちへ
「ゆっくり休んでいたしていても、
それは無駄な時間ではないんです」
というメッセージのつもりでした。
これを書いたのは、たまたま私の周りに
働き過ぎだと感じる方々がいらっしゃったことと
クマールのメッセージを読んだことがつながっただけ。

もし、私の周りに、いつも時間を持て余している方ばかりだったら
『自分に命令しないものは、奴隷にとどまる』というゲーテの言葉や
『あなたが、無駄に過ごした今日は、昨日、死んだ人が、死ぬほど生きたかった明日』
などという言葉を引用して書いていたかもしれませんしね。

でも、その彼は、私の昨日のメッセージから
今のその方にとっての必要なメッセージを受け取ったのです。

つまりは、使われている言葉がどうであっても
自分の心で見ることができる方にとっては、
どんなメッセージからでも、自分に必要なメッセージを受け取ることが
できるのだということなんですね。
それは、言葉そのものからではなく、
その言葉の向こうにあるものを
見つめることができるということかもしれません。

私も、素晴らしい方々や素晴らしい民族から学ぶ姿勢を持つと同時に
その時々で、自分の中にすでに存在している答えを見つけていきたいなあと
思っています。

ということで、これは、誰に対するメッセージでもありませんが。

今日も私のひとり言におつきあいくださって
ありがとうございます^^

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