お金という物差しとフラワーエッセンス

フラワーエッセンスの効果

人は何故、仕事をするのでしょう?

・・・はい。
生きていくため、ですよね。
もっといえば生きていくため、生活していくためです。

働いて、お金をもらう、ということは
生活のために必要なことだってことは誰でもわかると思います。

よりよい生活を求めれば求めるほど
よりよいもの(贅沢や便利さ)を求めれば求めるほど
お金が必要になってきます。

昔、ある程度以上の収入のあった仕事をやめたとき、
まわりから言われたことがありました。

「一度ある程度の生活レベルを味わうと自分の生活レベルって落とせないものだよ。

今ここである程度の収入でそれなりに使っているあなたは
ここで仕事をやめてしまったら、あとは落ちるだけなんじゃない?」

その後、いわゆる高給取りまでいかないけど、それなりの贅沢な生活を送っていたのが変わりました。

私はどんどん、いわゆる贅沢な暮らしをそぎ落としていきました。
化粧品なんかも今思おうと、めちゃくちゃ高いものを買っていたな。。。

贅沢な暮らしというのは、それはそれで満足だったんですが
その後、私はスピリチュアルな世界に入り
ヒーリングという世界も垣間見ることになりました。

その頃、ヒーリンググッズもいわゆる「癒し産業」の中にあるものだったり
スピリチュアルやヒーリングのワークショップにおいても
様々な疑問を感じていくようになりました。

とあるヒーラーさんのホームページ。
そこにあるのは、その人の「肩書き」とかばかりがずらっと並ぶ。

確かにワークショップなどである程度の基礎を学ぶことは大切だと思っています。

そちらの世界を本当にやっていくのならば、それなりの「エネルギー」
つまりコミットメントとでもいえる意味でのエネルギーの対価としてのお金、でしょう。

しかし数日学んだだけでそれらの技術が習得しました、明日からそれで職にできますよ、という形態にも、なんだかなっていう疑問を抱いてるんだよね。

結局それらのシステムはヒーラー難民というか
「人のために癒せることができます」
ということでいったんつけた技術でも
それをすぐに職としてできずにいると
次から次へと様々なヒーリング技術にとびついて、と同じことを繰り返したりね。

あるヒーラーさんのブログを見ていたら
なんだかすごい経歴を書かれていて
なんだかすごい人に教わったから
本当にすごい人なんだろうな~と思って会ってみたら
全く癒されておらず、こんなんで人を癒せるの?と思うことも多かったです。

結局それらは「誰かを癒すため」というよりは
ヒーリングで食べていくため
という技術でしかとらえられない人も中にはいるってことね。

本当の癒しの意味をわかってんのかな~ってかんじで。

誰かを癒したい病とでもいうべき人も結構いたりする。

ちょっとでも困ったこと、とか書くと
どこからわいてきたの?というかんじで
(検索かけるのかわからないけど)
様々なヒーラーさんがコメントしてきたり。。。(苦笑)

そんなことをしてると
このいわゆるスピリチュアルだとかヒーリングだとかやってる世界が
汚く思えてしまってならない時がある。
・・・ってこんなこと書いちゃった。。。

じゃぁ何がそうさせているの?
・・・そうなると最初の仕事とお金の関係、だったり
「もっといい生活を」
とか、スピリチュアル的にいえば
「もっと幸せでお金持ちな私」になるとかさ。。

それってスピリチュアルじゃなくて物質世界だろ!
ってツッコミを入れたくなることばかりなんですよ。

もっといい生活を送りたい

もっと幸せになりたい

もっと!
もっと!

これって尽きない「欲」じゃない?

お金でなければ、名誉とか、名声、
さっきの例で言えば肩書きだったりとか含めて

もっと!
もっと!

ってなりますよね?

あ、でも、欲を捨てろっていうんじゃないのよ。

今あることに感謝することは本当に大切で、物質世界に生きる以上「今あること」イコールどうしてもお金とかモノになってしまうかもしれないけど、求めた生活の延長線上にあるモノ、コト、購入したもの、つきあう人、、それはその人そのものをあらわす。

人はエネルギーでできているものだからね。

だから
もっと!もっと!な人には
そういう「我欲」が集まりやすいんじゃないのかしら。

これは贅沢するなとかそういう意味でいってるんじゃないのよ。

日本の歴史的を見ると、「贅沢は敵」なんて洗脳されていたりするから。
その時はそうだったかもしれないけど、今を生きてないのよ。

もちろんさ、これは譲れないとか、これはほしいとか、誰だってあるものね。

でも何がいいたいかといえば
欲も上手に使っていかなくちゃね。

人間生きている以上欲は必ずあるものだから。
欲をなくせだなんて無理よ。

でも「もっともっと」って求めてばかりいると
心のバランスって崩れやすくなってしまうもの。

愛の問題もそうだよね。
もっと愛されたいとか、
「もっと!もっと!」が増えていくと自分が辛くなったりしてしまう。

小さいころあたしは、女性でいることがとても嫌でした。
お兄ちゃんばかりが優遇されたり
父親は男の子が欲しかったみたいですから
女の子の私は優遇されないんだな。。。って思っていました。

よくあることですが、嫉妬ですね。

これ、本当に「お兄ちゃんばかりなんで。。。!!!」
っていう気持ちがかなりあったんですが
これはインナーチャイルドの癒し。

兄ばかり優遇されるのが気に食わなくて
小さかったあたしはどうやれば親があたしを見てくれるのか、
だからすごい勉強したりしてきたんですが
すごいお手伝いしてきたんですが
勉強してもしてもお手伝いしてもほめてくれることは一切ありませんでした。
「100点とったの、あっそう」みたいな。。

私は生まれた時から愛されていないという感情がありましたので
「自分はもっと優遇されたい」という気持ちと
「親に迷惑かけたくない」という気持ちがごっちゃになっていました。

こんな感情をずっと持っていましたので
そんな傷ついた自分への癒しと自分への許しが必要だったのです。

当時から「兄にはお金かけてるのにあたしはかけてくれない」って思っていました。
小さいながらもお金=愛の形だと思っていました。

兄にばかりお金を費やす両親に怒りと悲しみ、憎しみを感じていました。

これらはお金に関することですがお金そのものには何もないんですが
大人になり、働くようになり、その稼いだお金で好きなものを買う・・・
一生懸命働いて稼いだお金を誰かにあげたり使ったりするというのは
その人の気持ちがこめられていますよね。
だけどそんなことに気づいたのは、社会人になってからのこと。

私が親に対して、兄にお金かけてるのがすごい嫌だったのは
実はお金=愛の形だとずっと思っていたから
兄ばかり愛されている、あたしは愛されていない、そんな気持ちになっちゃったのですよね。

そんなことに気づいたんですよ。

そして、スピリチュアルな勉強をはじめて
愛情をお金だけでしか表現できない人って
私が思う「豊かさ」ではないなって思うし
幸せそうじゃないなって思うようになりました。

最初の話にまた戻ります。
今度は働く側からみたことです。

人は何故お仕事をするのでしょう。

生きていくためですよね。

よりよい生活、潤沢さは「豊かさ」でもあります。

”貧しい国の子供たち”の写真、見たことあるでしょう。

私、ああいうのダメなんです。
「貧しい子供たちに愛の手を」ってのがだめなんです。
貧しいかどうか、それって国の経済状態ですよね。

”貧しい=かわいそう”

そんな図で見てるあなたがいませんか?

それって違うとあたしは思ってしまうのです。
だけどそれを口にすると
私はひどい人だと言われるのはなんとなくわかってました。
他の人と私はずれているな~とも。

ただ私は、
貧しいと決め付けてる時点で、自分との「差」をつけて相手をみています。
「相手を貧しい」と決め付けて思うことが「差」なのです。

この「差」はどこからきますか?

確かにまともに学校に行けない、まともに食事を食べられない、まともに医療を受けられない。。。

そんな意味では、もう少しお金があればよかったのかもしれません。
だけどあたしがいいたいのは、そういう具体的なことじゃなくて
”「貧しい」と相手を決めてかかる広告”にみえてしまうとでも言うのでしょうか。

だってこれは
「この子は貧しいけど、あなたはこの子よりお金あるのよ」
という洗脳に近いもの感じます。
「かわいそうね」
って思うそれは愛ではなく単なる「同情」でしょ?
つまりそこに貧しいと決め付けてかかる「優越感」
もしくは「豊かで申し訳ない」っていう罪悪感を持たせる広告に思えてしまうのです。

ほとんどの方が「同情」という感情に気づいていません。
「同情」は侮辱です。

豊かであることに罪悪感を覚える必要などありません。
だけどそういう「現実」(いわゆるここでいう貧しい国の子供的な)があることは
目を開いて知っておく必要があると思うのです。

そして同情よりも「心を寄せる」ということ。

同情や情けの場合、 たとえば同情した相手に対し「上下」関係を作り出します。
つまり、同情や情けの場合、相手との間に「差」を見ているのです。

お金は「差」を時に生み出したりします。
「差」とは「あなたと自分は違う」という壁のことですよね。

例えば悲しんでいる人が身近にいたら、
そばにいて、一緒に座っている、それだけでいいのです。

たとえば過去にすごく悲しいことがあったのなら
それを思い出しながら両手を胸に当て、そっと自分に寄り添ってみる。

癒されるためには何もヒーラーが必要とは限りません。
テクニックなど本来なら必要ないのです。
だって本当に一番自分を知ってるのは自分自身だし、
自分を本当に癒せるのは自分なのだから。

ちょっと自分では自分をどうやって癒していいのかわからない。。。
そんな時、信頼できそうな、相性のあいそうなヒーラーさんを見つけてみてください。

本当の愛とは相手と自分との間に「差」を作らないことだと私は思います。

人は何故お仕事するのでしょう。
生活のためですか?

私は幼い頃、それなりの生活をさせてもらってました。
両親に感謝すべきことです。

あたしはこのような「豊かさ」の中に生きています。

だけど、もうちょっと、好きなところに遊びに行きたい。
好きなものを買いたい。。。

これらが度がすぎてしまうと「欲」がすぎて苦しくなってしまいます。

求めても求めても欲は尽きることがありませんからね。

人間、ほどほど、が一番ですよ。

お金がほしい、とか、お金のために働くのは悲しいことだと思うのは
今のあたしの環境が、恵まれているからそう思えるのですよね。

だけど、あの台詞を言われたときと生活は全然違います。

「自分の生活レベル」を多少は落としてるけど
あたしは昔より、今のほうが幸せです。

幸せっていうより、ラクで、そしてとても自由です。

私にとって自由とはもっとも幸せなことなんです。

「貧しいと、生活苦に煩わされることが多くなり、才気や高潔さが失われてしまうものである。」

と辞典にはありますが、本当にそうなんでしょうか?
今はもう、そういうふうに捉える時代って終わってるんではないかと思うのです。

お金があれば幸せ。だからもっとお金が必要。
そういう時代ではないと思うんです。

お金は愛のエネルギーです。
お金に「差」を見出すことは
お金を「物差し」で世の中を見ているということだと思うんです。

そう、つまり、愛で世の中を見ているわけではない。
ならば、もっとお金が循環することに慎重になるべきなのかもしれません。

子供がいて、共働きしないとダメな状態だったら。。。?
母親としては子供ともっとゆっくりしたいと思うでしょう。
でも、生活のために働く。。。

これは、愛のためのお金なんだと思います。

だから先程も書いたように子供ながらに、父親が稼いだお金を
そのまま塾やら何やらを兄につぎ込んでるのがすごい当時はいやだったのです。

お金=愛

文字にするとこうなってしまうけど

両方とも「豊かさ」なんです。

つまり、お金について「欲」としてとらえすぎてばかりだと、違うのではないの?
って思うんです。

子供のために働くとかそういうのは愛だって気がします。

でもそこで生活を豊かにするのはいいのですが
もっと豊かに!もっと!もっと!
ってなっていつもイライラしてしていたら。。。?
バランスの問題だと思います。

子供の教育を受けさせたいというところに
親のエゴがあったら?
そういうことです。

母親が働くことに母親のエゴがあったら?

子供は子供です。
○○さんのお母さん、お父さん。
・・・だけじゃありませんよね。
子供も一人の人間なように、親もそうです。

お金も愛も豊かさです。

つまり両方エネルギーなんですね。

お金はネガティブという意味ではありません。
ただ、お金も愛もエゴが絡みやすいのです。
ひっそりと、そこにエゴが「実は」あったりします。
だから取り扱いに気をつけるべきだとは思います。

豊かさについて、考えてみませんか。

伝えるのがなかなか難しいけど言いたいことわかってくれたらうれしいです。

長々と書いてきましたが、最後に豊かさに合うフラワーエッセンスを。

豊かさでフラワーエッセンスを考えるとどうしてもアバダンスエッセンスを思い浮かべるのですが
今回は、また違ったフラワーエッセンスをご紹介します。

ポリアンサス (パシフィックエッセンス)

ポリアンサスは豊かさのエッセンス。
意識を宇宙の無限のエネルギーの流れにつなげ、自分にとって必要なものが流れてくるのを助けてくれます。
自分を否定している原因や障害を取り除き、喜んで「受け取り」「与える」ことを助けてくれます。

ヘマタイト (コルテ)

このエッセンスのメッセージは「豊かな宇宙の恵みは私への活動力」です。
「できない」という制限は自分の思い込みにすぎないと気づき、無限に広がる自分の創造性につなげてくれます。
フルホーンカトレアとペアえとると相乗効果があります。

フルホーンカトレア (コルテ)

宇宙の無限の愛を経験し、体内に流し、大地へとかえすという、天と人間と地球の間のつながりを確立するためのエッセンス。
すべては宇宙の愛と同じく豊かさの中に存在し、制限がないことを理解し、宇宙からのギフトを意識的に受け取れるようにします。

 

 

 

 

 

 

 

 

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