恥と罪悪感の違いとは?

スピリチュアル

ある方のブログで
テーマが「個人的な秘密」ということで
読者の方に匿名でいいので、
この場でそれぞれの秘密を
ぶち明けてくださいと呼びかけていました。
そうしたら、とてもたくさんの方が
それぞれ誰にも言えない秘密について
語っていて、こういうスピリチュアル系のブログ?でさえ
こんな風に感じている人がたくさんいるのだから
世の中には、ほんとうにいろんなことで一人で悩み、
苦しんでいる方が、多いのだなあと、
あらためて感じました。

私自身も大きな秘密があって
メールセッションでセラピストさんに言えたことが
大きな解放への第一歩になりました。
とても感謝しています。

女性の場合の秘密は、男性との関係や性に関することが多く
やはり今の性に閉鎖的な社会では
(風俗などがこれだけたくさん存在していることも
性に閉鎖的な社会の現れですしね)
女性は一人で悩んだり、苦しんだりされている方は多いのでしょう。

でも、例えば「借金がある」とか
「家賃が払えない」とか、
なんでこんなことが多くの人にとって
秘密なんだろうと思って考えてみたら、
これは精神的に強いとか弱いとかには関係なく
お金がないことや借金していることを
「恥」だと捉えているからなんだってことに気づきました。

考えてみれば、私たちは幼い頃から知らず知らずのうちに
「こういうことは恥ずかしい」と
いろんな形で植え付けられてしまっているのかもしれません。

「お金がないことは恥ずかしい」
「あんな仕事をするのは恥ずかしい」
「こんな身体の特徴を持っているのは恥ずかしい」
「こんな病気になるのは恥ずかしい」
「男が女に養ってもらうのは恥ずかしい」
「女性からセックスを求めたり、性的な感情を持つことは恥ずかしい」
などなど。

例えば、仕事がない、次の家賃のめどが立たない、 など、
それは単なる現象であって、
人間的に劣っているということではないので
友人と話す機会があれば、
現状を話したり、相談してみたりすると
友人から「こうしたらいいんじゃない?』という思いがけず
素敵なアイデアをもらったり、
また、よい仕事先を紹介してもらったりして
新たな可能性を見つけることが
できるかもしれませんが
もし、それを、「恥」だと考えて、
個人的な秘密にしてしまっていたら
きっと何の解決にもならないだろうと思うのです。

また、身体や病気や性に関して、
恥を感じることも同じ。
神様はいろんなタイプの人間を作ったのですし、
例え、みんなと違っていたとしても、
それは自然なことですから。

なので、「自分を恥じない」というのは
これまで植え付けられてきた価値観を見直して、
変えてゆくということにつながるのかもしれません。

また「恥」と同じように、多くの人は、
「自分は罪深い人間だ」という罪悪感を持っているのだということも気づきました。

「旦那がいるのに他の人を愛してしまった」
「心の中で嫌っている人がいる」
「いつも周りにはいい人である振りをしている」
「万引きをしたことがある」
「中絶をしたことがある」
などなど。

私の好きな本「からだの声を聞きなさい」に
罪悪感について、こう書かれてあります。

恐れとともに、ほとんどの人の人生を支配しているのが罪悪感です。

実際に罪深いことと、罪悪感を持つことのあいだには、
非常に大きな違いがあります。
人間は罪悪感を持つことに関しては、
天才的であると言ってもいいくらいです。
多くの人が、実際は罪深くないのに、
大きな罪悪感を持っています。
「罪深い」というのは、自分自身、ならびに他者に対して
意図的に害のあることを何かした場合のことです。

心の中を調べてみましょう。

あなたが、人を害そうという明確な意図を持って行動した最後の日はいつですか?

あなたが相手に迷惑がかかるとひそかに知っていながら、敢えてそれをしたのはいつですか?

たぶん、それらは遠い昔のことだろうと思います。
それは当然のことです。
というのも、本当に「罪深い」人というのは、
実際はほんのわずかしかいないからです。
自分が完全であるということを受け入れるのは、
罪悪感から解放されるために
とてもよい方法です。

どんなに素晴らしい人だって、
人生の中で一度や二度は人を嫌ったり、
よくないことを考えてみたりすることがあると思うのです。
でも、それに気づくことが大切で
それに対して自分はだめな人間だと
罪悪感を持つことはないのになあ、と。

例えば中絶という問題にしても、
それ自体はよくないことかもしれないけれど、
始めからそうしたいと思ってする人は誰もいないのですし、
本当は罪悪感を感じる必要はないのですよね。
もちろん、特に人に話す必要がないことは言わないでいいですが、
自分の中に抱え込んで、苦しむ必要もないと思うのです。

人生の中では、間違った選択をしてしまうことは
多々あるわけで、それに気づいたら、次から変えていったり、
持っている感情を浄化したりすればいいのですが、
それに対して罪悪感を持つと
そこから先に進めなくなってしまうように思います。

一方、他人に罪悪感を植え付けようとする人たちもいるので、
注意が必要ですが。
「あなたのせいで傷ついたのよ」と。
そういう人たちの言うままに罪悪感を持つことは
エネルギーを奪われてしまうこと。
もちろん、失敗や失言があったなら、素直に謝り
改めることが大切だと思いますが、
だからといって罪悪感を持ち続けるのは
結果、双方にとってよくない結果となると思います。

アメリカの文化人類学者にルース・ベネディクトという方が
欧米の文化は「罪の文化」で
日本人の文化は「恥の文化」である
という事を書いていましたが
ものすごく納得したことを覚えています。

また、以前記事にもしましたが
人間の意識レベルを図る科学について書かれた
デビットホーキンズ博士の『パワーかフォースか』でも
恥と罪悪感は、人間の意識レベルの中で一番低いレベルであって
怒りや恐怖よりもずっと低いレベルなのです。

(これはホーキング博士が人間の意識や価値観について
20年間、数千人を対象に、
数百万回に渡って計測し続け、体系化してまとめ、
人間の意識のレベルを1000段階で表現したもの)

それが意識レベルの数値です。

エネルギーレベル  20 恥

エネルギーレベル  30 罪悪感

エネルギーレベル  50 無感動

エネルギーレベル  75 深い悲しみ

エネルギーレベル 100 恐怖

エネルギーレベル 125 欲望

エネルギーレベル 150 怒り

エネルギーレベル 175 プライド

エネルギーレベル 200 勇気

エネルギーレベル 250 中立

エネルギーレベル 310 意欲

エネルギーレベル 350 受容

エネルギーレベル 400 理性

エネルギーレベル 500 愛 

エネルギーレベル 540 喜び

エネルギーレベル 600 平和

エネルギーレベル700~1000:悟り

ちなみに、200以上がパワー、
それ以下はフォース。
人として幸せに生きるには、
200以上になることが、
大切だそう。

これを見ると、恥=20 罪悪感=30は
死=0に限りなく近いのです。
だから、恥や罪悪感が強くなると
自殺ということにつながってくるのですね。
ネガティブな感情というと、ほとんどの人は
怒りや悲しみというものを考えますが、
案外、恥や罪悪感を持っている人の方が多いのかもしれません。

例えば、「怒り」に関していえば、
戦争や環境破壊に対する怒りから
平和活動や環境運動を始める人もいますし
自分を高めようと努力する人もいるかもしれませんが
恥や罪悪感は、自己否定や自分を愛せないことにつながっていきます。

では、どうしたら、恥や罪悪感を手放すことができるかどうか、
それには、まず、一人一人がみんな身体も考え方も
生き方も違っていて当たり前だということを理解することかなあと。
私たちはそれぞれの人生の中で、
それぞれ違う課題をこなしていくのですから。

そして、その時々で、それは自分にとって必要な学びだということを知ること。

そうして、それぞれの個性が、
宇宙の中ではタペストリーのように織り合って
全体としては、完璧な世界を作り上げているのだと思うのです。

それぞれの苦難は、全く違うようでいても、
偉大なる宇宙の創造主からしてみたら
私たちが抱えている問題なんて、五十歩百歩。
そのことを知れば、本当は何も恥に感じることも、
罪に感じることもないのですよね。

私たちが一人一人の中にある、
恥と罪悪感をなくしていかない限り
人類全体の意識レベルが上がることもないし
結果、本当の意味での平和な社会へとも
結びついていかないのだなあと感じます。

これから生きていく中で、自分の中に、
自分を恥じる気持ちや罪悪感があるのではないか、
自分の心をよく見つめてみて、
もし、それがどこかにあるのに
気づいたらのなら、手放していくことが大切ですね。

と、長くなってしまいましたが、、
読んでくださってありがとうございます。

コメント