ここ最近、自分の容姿が嫌いだという方が、何人か続けていらっしゃったので
容姿のことについて書いてみますね。
私が思うのは、自分の容姿が嫌いというのも二つあって
一つは、例えば、足が短い、鼻が低い、目が垂れているなど
生まれ持った自分の容姿が嫌いだということ。
そして、もう一つは、今の状態が太っている、
肌がきれいじゃない、しわがあるなど
今現在の自分の体型や容姿が嫌いということです。
今の体型や容姿に満足していない女性は多いですが
体重などは、これから、いくらでも変えていけるわけですよね。
でも、なかなか思うように痩せなかったり
そのためのエクササイズや食事などもできなかったりすると
容姿だけでなく、そういう風にワークできない自分も嫌いになってゆきます。
「もしこういう容姿になったら自分の容姿を好きになろう」
というのは、実は、逆であって、自分の容姿が好きだから
エクササイズをやったり、自分を美しくするためのケアをするわけですね。
だから、痩せることが先ではなくて
まずは自分の容姿を愛することが先決だと、身体が伝えてくることがあります。
また、一方の自分の生まれもっている容姿が嫌いな人ですが
その多くは、雑誌のモデルのような容姿が美しいのだ、
と思い込んでしまっていたり
自分の鼻は醜いと思い込んでしまっていたり
自分は美しくないという固定観念に縛られていることがあります。
この傾向は、やはり日本人の方が多いように思います。
日本はみんなと基本的に同じよういようとする傾向があるからか
目がフランス人形のように大きくて、足がかもしかのように細くて
色が白くて、などと美しさの基準が限定されてしまうのでしょう。
最近、テレビに出ている人で見る度に顔が変わっていくタレントさんもいらっしゃいますが
そういった流行りの顔になりたくて整形を繰り返しているのでしょうか。。
もうそういった人が何を言っていても顔が気になちゃって情報が入ってこないんですよね。
容姿に執着している限りは気づくことはできないのが現実。
じゃあなんでこういったことが起こるかというと
容姿でしか人を判断できない人が多いということがあります。
この傾向は女性より男性の方が強いように感じます。
日本はまだまだ男性社会ですから、容姿のよい女性を好むので
女性は男性にモテたいという欲求を満たすために容姿を良くするという構図が生まれます。
容姿でしか女性を判断できない男性は多いですから、そういった女性に群がるわけです。
例えば、アメリカに行くと
日本人ほど、人と比較してのコンプレックスを持っている人は少ないかもしれません。
セドナの舞台で踊られていた女性ダンサーも、
よくよく見てみると、かなりお腹周りが大きくて、
へそ出しルックからボテンと脂肪がはみ出していて
きっと日本だったら、こういうダンサーはあまりいないだろうなあ、と。
でも、そんなお腹の脂肪なんて、
彼女の全体の美しく情熱的な動きを見ていると
全く気にならないばかりか、
それさえも彼女の野性的な美しさを引き立てている要因に感じられるのです。
うーーん、アメリカと日本では歴史も文化も生活様式も違いますから
どっちがいいというわけではないんですが、
容姿を個性としてとらえているか、いないかの違いですよね。
先日も渡辺直美さんのことで報道がありましたが、これはとても難しい問題だな~と思います。
例えば、都内で電車なんか乗っていると、席の幅はある程度決められているんですよね。
それで体が大きい人が隣だとかなりきつきつになってしまう。
その隣の方がスミマセン。。。って感じでいらっしゃると大丈夫ですよ~と思うのですが
その隣の方が太々しい感じだとこちらも嫌だな~なんて思うんですよね。
容姿だけで人を判断するというのは、安易で稚拙な考えだと私は思います。
じゃあ、人の容姿の美しさって何だろうと考えると
やっぱり、その外見に映し出された内面だなあと。
自分のことを外見も内面も愛している人は、やっぱり輝いていて美しいと感じます。
タントラでも、まず自分の容姿を愛することからスタートします。
全身裸になって、鏡の前に立って
自分の身体のすべてを愛してゆきます。
あ~胸がもっと大きかったらいいのに、とか
お尻がもっと形がよくて小さかったらいいのに、
足が細かったらいいのに、とか
自分の身体で満足できない部分を探せば、山ほどでてきますが
そのすべてをとことん愛し、受け入れてゆくことが大切だと
タントラの先生が言われていました。
先日、リサロイヤルの
『アセンションの道しるべ』を
何年かぶりに読み返していたのですが
その中に「醜い自分を受け入れる」というテーマでワークが載っていましたので
ご紹介しますね。
こういうイメージワークは、向き不向きがありますが
心からありありと感じることができれば、
このイメージだけでも癒しに効果があります。
「心を鎮めて瞑想状態になり、長い廊下を歩いている自分の姿を想像します。
その中の部屋に入ると、部屋の中に美しい縁取りの姿見があります。
その鏡の前に立って、自分を見つめます。
そこにはいつもの自分がありますが
生まれて初めてみるかのように、細部まで丹念に見つめます。
鏡の中のあなたが醜い姿に変わり始めます。
もしもあなたが太ることを恐れているのなら
鏡の中の自分をできるだけ太らせてください。
鼻の形が嫌いなら、その形を誇張してください。
鏡に映る醜い姿は、あなたの恐怖心や否定的な思考の現れです。
恐れや嫌悪感を持たずに、自分の醜い姿を見つめていると
いろいろな感情がわき上がってくるでしょう。
それらをすべて受け入れてあげてください。
鏡に映るあなたの目から、涙が溢れ出します。
彼女(彼)はあなたに愛されて、受け入れられたいのです。
彼女(彼)の醜さの奥には、聖なる輝きがあります。
その光こそ、本当の姿です。
鏡の中の分身に愛に手を差し伸べて、全身全霊で愛しましょう。
まるで乾いたスポンジが水を吸い取るように
醜い分身はあなたの愛を受け入れます。
彼女(彼)は急速に生き生きして、あなたの理想の形に変わります。
彼女(彼)の目が放つ暖かい光が、あなたの目が放つ光と出会って
とけあった時に、あなたと分身は一つになります。
するとあなたは愛、喜び、自信に満ちた状態になります。
こうして生まれた新しいあなたは、
けして過去のあなたを脅かす存在ではありません。
統合のプロセスが’終わるまでの間、
おごそかな雰囲気の中でくつろいでいてください。」
さて、私はここ何年も自分のエネルギー的なものの
ケアを中心にやってきました。
けれど、その前は容姿やオシャレに気を使ってきて
それは、もちろん自分の為だったり自己満足でやっていたのですが
今思うといろんな感情があったな。。と。
当時は夢中で楽しかったんです。
けれど、母親の固定観念をもろに受けていたな~と。
一つ一つ認めて、受け入れてけ入れていき
ワークをしたり、必要なエッセンスを飲んだりして
随分と解放されて、自分の容姿を愛せるようになってきたかな。。。。^^
あなたは自分の容姿を愛していますか~?
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