自分を受け入れること

魂の成長、心の成長

今日、友人からメールで
「自分を受け入れる」っていうのは
どういうこと?
自分の中に嫌な部分があって、それに気づいた後
そんな自分を受け入れるってどういうこと?
どうやったら受け入れられるの?
という質問を頂きました。

案外、自分のこういう部分が受け入れられないと
思っている方は、けっこう多いように感じています。
なので、私なりに感じていることを書いてみますね。

受け入れるというのは、ジャッジしない(裁かない)判断しないということ。
自分の嫌な部分に気づいても
だから自分はだめだとか
そのことで自分を責めるのではなく
「ああ、私にはこういうところがあったのね」
とその事実をそのまま受けとるということです。

多くの人は「こうあるべき」
という価値観をそれぞれ持っていて
それに合わないと、だめだと判断してしまいます。
そういう判断をしないで
「今の私の状態はこうなんだ」と認識するだけです。
それは永遠のあなたの資質ではありませんから
本当に変えたいと思ったなら、いつでも変えることができます。

では、どうやったら、受け入れられるか?

実は、受け入れるためには、自分の内面を見つめて
自分が持っているエゴや思考パターンに、
気づかなければならないのですね。
だって、自分の奥深くでは何を感じているか?
を知らなければ、自分のすべてを受け入れることなんてできませんから。
嫌な部分に蓋をかぶせてごまかしていては、
ありのままの自分を受け入れることはできないのです。

例えばある人が「自分は、他人に嫌われたくないと思うあまりに
つい自分の本心を隠して相手に合わせたり
ノーが言えなかったり、八方美人な部分がある」
と気づいたとします。

この気づくというのが、大きな第一歩。
自分の言動が自分の内面の何を現しているかに気づかないで
過ごしている人はたくさんいますから。
受け入れるというのは、気づくことから始まるのですね。

では、次になぜそうなのか?を内観してみること。

なぜ、人に嫌われたくないと感じるのか?
なぜ、ノーと言ったら、嫌われると思うのか?

そんな風に見ていくと、もしかすると

自分は充分に愛されていない、
そのままの自分では愛されない。
自分には価値がない

などと、どこかで感じている、ということにつきあたるかもしれません。

ここで、なぜそのままの自分では愛されないと感じるのか?
なぜ、自分は価値がない人間であるかと感じるのか?

その答えは、もちろん、内観してわかることもあれば、
ふと何かのきっかけで根本的な原因に気づいたり
さまざまなセラピーやヒーリングを
通じてわかってくることもあるでしょう。

何にしても、例え、自分がどうであっても
そこにはそうなった原因ともいうべき理由が存在するということ。

例えば、親に充分な愛を受けなかったと感じるような
出来事があれば、そういう感情を持つようになることは
ごく自然なことですし、
でも親にもそういうことをした理由が存在するわけですから
誰が悪いということではなく
それはそういうことがあったというだけ。
つまりは、学びのための一つのプログラムにしか過ぎないのです。

なので、そこまで見つめていくと
あらゆることが、いいとか悪いとかいうことではなく
ああ、私はこういう理由でこういう感情を持つようになっただなあと
そのまま受け入れられるようになるのです。

自分をありのままに受け入れることができる人は
他の人に対しても同じことができる人です。

人に対して、私たちは意識していなくても、
「あの人はこういうところがあるからだめだ」
と判断したり、裁いたりしていることがありますよね。

例え、それが自分にとって、あまり好きな部分でなかったとしても
裁かない、そのまま受け入れることは、とても大切なことだと思います。

この判断しない心を持つのは、簡単にはできないかもしれません。

かくいう私も、時々、無意識に判断している自分に気づきます。
でも、判断していることに気づいたら、すぐに手放すことにしています。

そう、自分の嫌な部分に気づいたら、
そのことを認めた後、癒したり、手放したりしていけばいいのです。

だから、エゴや欠点があることがだめなんではないのですね。
エゴや欠点に気づいて、手放す努力をする自分を認める
自分を受け入れる、そのままの自分を愛することが大切だと
私は思うのです。

では手放すってどういうこと?
ということなのですが(これも質問にあったので)

例えば、~~に対する恐れを手放すというのは、
自分の中にその恐れがあることを認めた後で
それを乗り越えること、
つまり、それに対する恐れの感情がなくなること。

そして、どうしたらそんなことができるの?ということですが、
これは、本当にいろんな方法があるので
その人がその時よいと思ったものをやっていくしか
ありません。

メールセッションでもキネシオロジーでも、
どんなヒーリングやセラピーでも
必要のない感情や想いを手放していくためのものなのですし
例えば、究極の浄化法、スウェットロッジでは
そういう潜在意識に奥深く眠っている感情やトラウマが一気に出てきて、
手放すことができます。
でも、大自然の中にいたり、
パワースポットのような場所にいると
そういう浄化が起こることもあります。

また、特別なことをしなくても
簡単なイメージトレーニングだって、効果があると思います。

以前、ご紹介したアバンダンスプログラムの中であったのですが
自分のイメージの中で大きな箱を用意して
恐れや不安などの必要のない感情をそれに全部つめて
その箱にたくさんの風船をつけて、空高く飛ばしていく
というイメージ瞑想がありました。

そういうイメージを持って瞑想するののもいいし
『私は~~に対する恐れを手放します』といった
アファメーションを唱えるのもいいですしね。

キネシオロジーでは、意図設定をしたり
恐れの感情をもった状態で
筋肉の状態を調べてオフになっているところを
調整して、潜在意識を変化させます。

キネシでは、自分の意志の力とは全く関係なく
一瞬で潜在意識を変えるので
え?これで私の恐れはなくなったの?
と最初はピンと来ないことが多いんですよね。

でも、一瞬で解決することがいいかどうかは
また別問題。
必要のないものを手放すために
あれこれ努力することそのものが
魂の成長の過程でもあるのですから。

メールセッションやキネシオロジーの素晴らしいところは、
一瞬でそれを手放すことにあるのではなく
その恐れや不安や自分が持っている様々な感情に
気づくきっかけになるということでしょう。

どちらにしても、この質問をしてきた友人は
もう受け入れる準備も手放す準備もできていると感じます。
自分の中に「受け入れられない」と感じる部分があると気づく
それをどうしたら受け入れられるのか?
またもう必要ないと感じたことを
手放すためにはどうしたらいいのか?
そんな風に考えていることが
もうそこに向かっているということですから。

自分のありのままを受け入れて
そして、必要ないと感じたことはどんどん手放して、
より軽くなっていきましょ~~

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