人生の中で、どちらの道に行くべきか
選択を迷うことって誰でもあると思います。
私は考える前に行動していることがあるので
あまり迷わない方だと思うのですが、それでもたまにどちらを選ぶべきか
迷ってしまう時もあります。
時々、キネシオロジーのセラピーで
「迷っていることがあるのですが、
キネシオロジーでどちらを選択したらいいか、わかりますか?」
というご質問がありますが
キネシオロジーは、あくまでも自分の潜在意識が感じていることを知る方法。
潜在意識=ハイヤーセルフではないのです。
なので、自分の身体にある潜在意識がどちらの方に行きたいと感じているかを
知ることはできますが、その選択が本当にその人の人生にとって
よい道かどうかは別問題。
例えば、その人の魂の流れとしては、Aに進むのがいいとしても
潜在意識が何らかの理由で、それに行くのを嫌だと感じていたら
答えはノーとでます。
そういう場合は、潜在意識を変えないと
いつまでたっても、自分の生き方はできないということになりますので
キネシオロジーで潜在意識を変える(調整する)ということなのです。
でも、それが本当に自分の魂が望んでいることなのかどうか
どちらが、自分にとってのベストな道なのか?
自分がやりたいと感じることが、
自分にとってベストの道であることは間違いないですが、
それをやることがリスクをともなう場合
(お金がかかる、時間がなくなるなど)
迷うこともありますよね。
もちろん、まずは自分の感覚を大事にすること。
その選択が、どこか気が重いというような場合は、ほとんどの場合
自分の魂が望む方向ではありませんから。
こうした方がみんなが喜ぶとか
こうした方が得をするという頭で考えた理屈ではなく、
それを選んだ時の自分の中の感覚や感情を大事にすること。
でも選択を迷う場合というのは
「これをして、もし、こうなったらわくわくするけど
逆にこうだったら、いやだなあ」
というように、
それに対する自分の感覚もわからない場合もあります。
なので、迷った時には、尋ねること。
「求めよ、さらば与えられん」です。
尋ねるって、誰に?
自分自身の叡智、大いなる自己=ハイヤーセルフに、です。
いつもハイヤーセルフとつながっていれば
迷いは出てきませんから。
自分のハイヤーセルフに向かって問いかけることはだれでもできます。
また、ハイヤーセルフに対してではなく
高次元の存在に対して、聞いてみるのもグッド。
高次元の存在は、キリストでも仏さまでも観音様でも天使でもセントジャーメインや
ラクシュミやガネーシャ、アマテラスさまでも誰でも
そういうマスターやスピリットなど
自分にとって心惹かれる存在のものがいればそれに対して尋ねます。
深い呼吸をしてから、瞑想して尋ねるのもいいですし
紙に「どうか~~に対する答えをください」と書いて
それを枕もとに置いて眠るのもよいです。
また、そういうピンとくる存在がいなかったりしても
その土地の神様やスピリットに対してでも構いません。
私はセドナに行った時
ちょうど迷っていたことがあって、セドナの土地の神様に
『この旅が終わるまでに、答えをください」
とお願いしたことがあります。
そうしたら、本当にその旅が終わる前に
ある友人の言葉を通じて、答えを得ることができました。
それが求めていた答えかどうかは、
すぐにピンと来るのでわかるのです。
でも、その選択をすることは、何人かの人たちに
迷惑をかけることがわかっていたので
少し勇気が必要でした。
というのは、私はあるセミナーに参加することを決めていて
すでに申し込みもしていたので、それをキャンセルするという選択は
そのセミナーを企画している友人に
迷惑が及ぶことがわかっていたのです。
それでも、私は、自分の選択を信じることにして
友人にお詫びのメールを書きました。
またすでに飛行機のチケットも購入していたので
セミナーを受けなくても、その場所に行くことにしたのです。
そして、その場所に行ってから、
すべてが私にとって必要な選択だったということがわかりました。
最初に、私がセミナーを受けると選択しなければ
そして、セミナーの参加をキャンセルするという選択をしなければ
その場所で素晴らしい体験もなかったし
素敵な人たちと出会うこともなかったのです。
そして、もしあのセミナーを受けていたとしたら
ロスでキネシオロジーのマスターコースを受けることもなかったことは
間違いないですから(そのセミナーは、私にはかなり高額だったので)
本当にその選択はよかったと心から思います。
私が一番気がかりだった、その選択をしたことで
迷惑をかけてしまった友人にも、セミナーの場所で出会うことができたのですが、
彼らが全く気にしていなくて、私の幸せを喜んでくれたことが、
本当に有り難かったです。
一度こう決めたから、とか
今さら変えれないということではなく
自分の内なる声にしたがって、選択を変えることも大切ですね。
でも、、、
私がいつも思っているのは
実はどちらの道を選択しても間違いはないのだろうなあということ。
もし、私がセミナーを受ける選択していたら
キネシオロジーには出会わなかったかもしれないけれど
また別のことを学んだわけですから
きっと「これを選んでよかった~」と思ったに違いありませんから。
大切なのは、どちらの道を選んだかではなく、
その道で何を学ぶか、どう生きるか、なのだと私は思うのです。
失敗することも大切な経験の一つですし
実は、人生の中で間違った選択なんて、何一つないのでしょう。
もっとも、その時々でいろいろ迷って、
一生懸命考えたり、自分を見つめたりすることは、
人生の中で必要なこと。
迷うのもよし、迷わずに即決するのもよし。
これから先に何が待っているか分からないところが
ほんと私たちの人生がおもしろいところですね。
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